堂本剛、心呼吸。ふるさと奈良を歩く 全文
堂本剛、心呼吸。ふるさと奈良を歩く
を、なんとか伝わるように、文字起こししてみたいと思います。
基本的には剛くんの話と、
情熱大陸でおなじみの窪田等さんのナレーションで、
奈良の各地を巡りながら、
いろいろなメッセージやエピソードで構成されていました。
ナレーション(以下NA)
―彼は、ここ奈良で生まれた。
堂本剛、29歳。アーティスト。東京を拠点に、生きること、そして愛をテーマに、活動している。
14歳で、奈良を離れ東京へ。
3年前、ENDLICHERI☆ENDLICHERIプロジェクトを始動させた。ひとりのアーティストとして、メッセージを発信したかった。
ありのままの自分で、世の中と向き合いたい。
自分自身を見つめるうちに、ふるさとで過ごした時間が、かけがえのないものであることに気づいた。
剛「ほんとに、奈良で育って、僕として育ってきただけの、僕、というか。
いろんな経験とかはさておき、みたいな自分が、すごくこう、前に出てきて、
許容範囲を占め始めているというか、うん、なんかそういうタイミングみたいですね。うん。」
NA
―東京から京都へ、京都から奈良へ。子供の頃から慣れ親しんだ電車で里帰り。
<電車の中で>
剛「まーいつ帰ってきてもあれですねぇ、あの。
ただ広い、という。(笑) ここも愛おしいですけど。
なんかこの、"進みすぎず"がいいですね、やっぱりね。
(窓の外を指して、)ここはもうもちろん覚えてるけど。
僕あの、ここのマンションに住んでる、背の高い女の子がいて、
で、友達が、その子がすごい好きだと、どうしたらいいかわからないと。
じゃ、ラブレター書いたらえぇやんけって言って、でラブレターを書いて、
ひとりで行くのはこわいから一緒にきてほしいっていうことで、
あのマンションの、その彼女のポストにラブレターを一緒に入れて、えぇ、
そんなんしたりとかねぇ。一個一個やっぱ、まぁあたりまえですけど、
いろんなとこに思い出も、ちゃんとあって。」
<平城宮跡へ>
剛「ここでもあの、アルバムの写真撮ったんですけど、
よくここであのう、いろんな写真撮ってますねぇ。すごく好きで。
ここあの、とにかく、全部空でしょ。それが好きなんですよ。
空すごい好きで、こういう"全部空"みたいなところが、
唯一、近所にここがあって、で、
夕暮れと、朝に、ちょっとこう、ピンクになる一瞬があるんですよ。空が。
それをね、見れたときが幸せなんですよね。うん。
若草山ね。山焼き。山燃えててね(笑)、おぉ燃えてる燃えてる、っていう。
(辺りを見回して、)みんなのんーびり。のんびりしてんなぁ、みんな(笑)。野球やったりして。
でも今日、なんか人多くないすか?みんなバドミントンしたり、野球したり。
えぇなぁー、やっぱりさぁ、こういうのんびりしたとこ。
でもおっきい敷地ですね。」
説明―奈良遷都1300年にあたる2010年に向け、大神殿正殿の復原工事が進められている
<その神殿を覆って、工事用の建物が建ててあり、その神殿の中に特別に入れてもらう>
剛「すごい、これは、
(しばし言葉を失う)
すごいなぁ、ほんま。
ここで歌いたいっすねえぇ~。
(スタッフの声:ここでPV撮りましょうよ)
撮りましょか?ねぇ。」
<工事用の建物は2階建てになっており、2階部分からは屋根を復原工事している>
剛「これが、今ちらっと聞いたら、瓦が約10万枚、使われてるということですよ。
これは、この角度ではもう見れないですよね、屋根の部分は。
今度は下から見ることになるでしょうね。すごいなぁ。
へぇーすごーい、ほんまにすごいわ。」
NA
―西大寺。奈良に帰った折に、ふらっと立ち寄ることが多い。
西暦765年、奈良時代にひらかれた西大寺。かつては100余りのお堂が建つ大寺院だった。
そんな寺の由緒を、物心つく前から聞いていた。
境内の一角にある幼稚園に通っていた。(西大寺幼稚園)
剛「でここを、"寒風マラソン"で(笑)。あの、寒風マラソンてなんなんすかね、
体に悪いですよね、あれ(笑)
乾布摩擦とかね。あの、すごいタオルでこするだけっていう(笑)。
あの、「本堂」って字、逆にすると堂本になるんですよね。
あの、まあ当たり前のことなんですけどね(笑)
あれがいつもね、ドキっとするんですよ。
あの「何々本堂」みたいな、ま「本堂」なんですけど。
僕からしたら、馴染みのある文字が二個ありますからね。
「堂本受付」ですからね(笑)。「堂本拝観(笑)」、堂本の拝観を受付しますから(笑)。
<まだ蕾の、桜の木を見上げ>
桜。んー、なんか、歴史が。歴史があるね。」
<「ソメイヨシノ」のPVがかかる>
NA
―「ソメイヨシノ」は、ENDLICHERI☆ENDLICHERIプロジェクトを立ち上げたとき、最初にリリースしたシングル。
剛「東京で桜を、母と春に一緒に見に行くんですけど、
で、「あんたと、この桜あと何回見れるやろか」って、ぽそっと言うたんですね。
でー、もう僕もちょっと言葉をなくしながら、
その、母が立っていて、その奥に桜が咲いていて、
もう見事に綺麗なピンクで咲いてましたけど、
その桜の花びらがですね、風に舞って地面に墜落していく、っていう、そういう、
景色をなんかこう、目に自然と焼きつけて。
僕が、ENDLICHERIというプロジェクトを立ち上げるときに、
んー、そのタイミングでほんとに、生きていくということとか、
自分が生まれた意味とか、自分が生まれた場所とか、
なんかいろんなことがほんとに、自然とわきあがってきて、
やはりその、もっと他の曲も書けたんですけど、
奈良をテーマにして、自分というものをテーマにして、
自分が生きていくということをテーマにして、
逃げずに何かを書きたい、ってなんかそんなふうに思って、
奈良をほんとに想像して、イメージして、
で、その母の背中を思い出し、その胸中を、自分なりに、
こういうふうに思ったりしてるのかな、なんて思いながら作った歌で。」
<東大寺 南大門>
剛「おおきいなー。
これを、だって、今の技術とかを、使わずして建てるってすごいことやからなぁ、やっぱり。
こういう、人の想いが。
(柱を見て、)これもでかいでー。
あそこの池におる、亀がね、麩あるでしょ、麩を、
ちょっといじわるして、高めのところにセッティングすると、首めっちゃ伸ばして(笑)
すごい貪欲にくるんすよ。
今おらへんか。
空がやっぱ広いでしょ?そこがやっぱすごい好きですね。
建物の高さの、制限っていうかね、ちゃんとされてるのもあるでしょうけど。
こういうお寺さんの近くにくると、より空は広くなるし、
ちょっとね、今自分が働いているエリアでは、なかなか得られない、
広さの、空を手に入れることができるから。」
NA
―できることなら、奈良から東京に通って、仕事をしたい。奈良が好きだ。
そんな想いは、新しいアルバムのジャケットにもあふれている。
大仏の掌のレプリカとミラーボール。奈良公園で鹿とフォトセッション。
そんなアルバムのタイトルは、「I AND 愛」。
「私」の"I"と、「LOVE」の"愛"。
最近ますます、自分について、愛について、考えることが大切だと感じている。
ありのままの自分で生きることが大切だと、感じている。
剛「僕を、堂本剛ってひとを、ほんとに応援してくれるひととか、
愛してくれるひと、CD買ってくらはるひと、
人生の一部の時間を、僕に費やしてくれるひとに対して、
やっぱり、リアルでいたい。
昔はほんとに、求めていただいた自分、こういうふうにしてくださいと、
言われれば、やれましたけど、
んー、やっぱり愛するひと、愛してくれるひとの前で、
うそぶいた自分はやっぱちょっとやだ、っていうのが、
すごく、子供的な発想に聞こえますけど、
ちょっと強くなっちゃったんですね。
フェイクじゃなくてリアルな自分、
が考える、表現、アートってなってくるとやっぱり、
自分の生まれた場所が、ポイントになってきたり。
ほんとに、奈良で育って、この奈良で培った、
言葉含めてね、感覚ふくめて、やっぱりすごく、
ずーっと大切に、して生きてきたかんじですね。」
<ならまちの路地を歩きながら>
剛「いいなぁ、こういう、のんびりのんびり歩いてさ。
でもやっぱこういう場所歩くと、ほんまの自分が自然と出てくるっちゅうか。
ここも空が広くてね。
漬けもん屋さんもあり、うまそやなー。
(角を曲がると、)おぅ、めっちゃ人おるやん、なんですか。
あ、ロケやってんのか。出とこか、じゃあ(笑)
しらーっと出てえぇんちゃうかな。通行人で。
Special Thanks堂本剛、出しといてくださいよ(笑)
<他番組のドラマスタッフに出会う>(もしかして鹿男あをによし?)
(しらーっとw)おつかれさまでーす。
不思議なかんじですね。
やっぱずっといらっしゃる方はね、
もうなんもせんでえぇやん、えぇとこなんやねんから、
って気持ちもすごわかるし、
でも出て行ったひとからすると、
こんなにすごいとこに住んでたんかってのは、ちょっと思うし、
こっから、ほんとに何かを発信したり、
価値観とか、感覚を発信することによって、
絶対、何十年後とかに、ほんとに僕たちが生きてるなかでね、
あ、やっぱこういう、昔のメッセージって大事やなぁ、とかっていうのに、
気づけるはずなんですけどね。」
<夕暮れ時。ふたたび平城宮跡で、雅楽の演奏を聞く>
剛「すごいですね。
奈良とかでこういう、雅楽師の方の演奏を聞くと、
やっぱまた違いますね。
この風に乗ってまたね、すごい遠くまで飛んだと思いますけれど。
やー、いいですね、この夕暮れに、こういうの聞かしていただいて。」
<奈良在住の雅楽師、山利さんにお話しを聞く>
剛「どういう想いで、この奈良という土地の上で、音出されたりされるんですか?いつも」
山利さん「雅楽っていうのは、アジアのもっとも古い、
オーケストレイションされた音楽で、
それが初めて日本に伝わったのが、
この奈良であって、そして奈良でどんどん成長していった、
日本人の感性に溶け込んでいく、最初の土地が奈良だった、
そんななかで、日本人らしい心理感っていうのがね、育まれていくっていう、
その部分を大切に、持ちながら、
そして自分たち自身も、自然とかいろんなものから、
いろんなエキスを吸収して、音として表現していく、っていうのが、
僕のスタイルなんですけどね。
日本人っていうのは結構、自然と、芸能なり建築なりを、
一体化した文化っていうのを形成してると思うんですよね。
今、堂本さんも、音楽活動されてるので、
それは感じることってあると思うんですよね。
バックグラウンドがあるから、新しいものがクリエイティブされていくっていうね。
1300年以上昔からの、芸能の積み重ね、
また、建築とか法律とか、いろんなものの積み重ねが、
今の日本の社会に還元されてると思うんですけどもね。」
剛「うん、そうですよね。
古き良きものを、やっぱ今一度、
きちんと、感じる、考えるっていうことが大事なのかな、
って思ったりしますね。」
<キーを下げて、つぶやくように、ソメイヨシノを弾き語り、にのせて>
剛「進みすぎた、この時代と世の中に対して、
ヒントをたくさん持ってる場所だと思いますね。
いわゆるそのヒントというのは、
いい方向に再建していくことであったりとか、
いい方向に、人々の、感覚とか意識、価値観っていうものを変えていく、
メッセージがいっぱい、僕はここには残っているような気がします。
この土地がある意味っていうのは、
やっぱりちゃんと考えていかなきゃいけない気がするし、
この土地が本当に何かを持っている、
と、僕は、
説得力ないかもしれないですけども、
何か確信しているかんじというか、
すごく強いですね。
これだけ広い空の下で、
これだけ広い土地が残っていて、
でもこの広い土地が、ただ土地として残っているってことではなくてね、
歴史とともに、土地が残っているということは、
素晴らしいことだなぁと、思います。
こういう場所で生まれて、育って、
そういういろんな時間を過ごしてきたっていうのは、
ほんとにおっきいなぁと思いますよね。」
30分の番組、起こすのに、5時間ぐらいかかった;;
アタシ打つの遅いし、残り10分ぶんのところで、
完全に集中力が切れた_(_”_;)_
よく考えればさ、テレビだからさ、
そのうち某Tubeに上げられたりすっかもしれないけどさっ、
がんばったお、オレ。
感想はまた別に上げよ。
by epoch_ripsf
| 2008-04-13 19:23
| Luv'n ENDLI-x